クリーニング・スマイルの「大阪平野かいわい物語」

赤留比売命神社の背後に見られる、環濠(かんごう)の跡

 

「環濠集落(かんごうしゅうらく)」だった平野区

 

赤留比売命神社(あかるひめのみこと)は、平野公園の西側にある神社です。
通称、「三十歩神社(さんじゅうぶじんじゃ)」と呼ばれるほど、小さな神社で、境内の端から端まで、三十歩で行けるほどです。

 

そんな赤留比売命神社の背後は、小高い丘がそびえています。
5m近くの高さはあろう石垣が、境内をとり囲むようにズラリと並んでいるのです。 まるで、赤留比売命神社は、その丘に守られるようかのようです。

 

環濠集落の名残境内は、昼間でも、その小高い丘がつくりだす影が伸びているため、神社が山の中腹にあるような錯覚さえも覚えます。

 

クリーニングスマイルのある大阪市平野区は、旧大和川の沖積平野(ちゅうせきへいや)にあたる、 河内平野(かわちへいや)にあるまちです。 国道や商店街が並び、どこを見渡しても、平坦といったイメージがある土地です。

 

この赤留比売命神社の裏手の部分は、どうして、小高い丘になっているのでしょうか?

 

この赤留比売命神社の背後にある、小高い丘は、実は、平野がかつて、「環濠集落(かんごうしゅうらく)」であった名残なのです。

 

 

平野区の発展

平野は、弘仁年間(こうにんねんかん)(810年頃)、当時、領土を治めていた坂上広野(さかのうえのひろの)の名前が訛って誕生したまちといわれています。
かつては荒れ果てた土地だったのですが、民衆が田畑を開墾に励んだ歴史を刻んで、稲などの農作物が盛んに栽培されるようになります。

 

平安時代には、京都で政治を担った藤原氏の荘園(しょうえん)ができ、鎌倉時代には、宇治平等院の所領となりながらも、田畑を耕しながら、 独自の文化を築いてきました。
大治2年(1127年)、良忍上人(りょうにんしょうにん)が大念仏寺(だいねんぶつじ)を開いてからは、平野は、門前町(もんぜんまち)としての特色も強めていきます。 大念仏寺の教えである融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)が広まったり、能楽(のうがく)などの娯楽が生まれていったのです。

 

 

商業が盛んな平野区

一方で、商業も、盛んになります。平野ではさまざまな農作物が収穫されていましたが、中でも、木綿(もめん)の栽培は特に盛んでした。
そこでは、七名家と呼ばれる一族がを中心となって、この平野の名産物である木綿を、全国や海外に出荷することに尽力しました。

 

平野の商業の発展は、政治の独自性という面からも、その要因を探ることができます。当時、全国におけるほとんどのまちは、 大名が主役となって政治を行っていて、民衆が主役となれる場はなかなかありませんでした。

 

しかし、平野では、民衆の意見やエネルギーをも大切にされました。具体的には、七名家と呼ばれる一族が中心となりつつ、 民衆の中から選ばれた人々の会議によって、まちが運営されていたのです。民衆の力を中心に、商業も経済も発展していき、 次第に、平野は、堺と並ぶ自治都市といわれるまでになったのでした。

 

 

集落を守るための「環濠(かんごう)」

ただ、戦国時代に入ると、民衆は、平野の未来に不安を感じるようになりました。
というのは、織田信長をはじめとした戦国大名たちが、台頭してきたからです。戦国大名たちは、自身の領土を広げていくために、 さまざまなまちで戦を繰り広げたのです。

 

当然、農作物栽培が盛んで、商業も栄えていた平野は、その標的になる可能性がありました。
そこで、平野の人々は、戦国大名たちからどのようにまちを守っていくかを話し合い、お互いに、知恵を出し合います。
仮に戦国大名と真っ向から戦ったとしたら、相手は刀や鉄砲を持つ猛者揃いですから、とても勝ち目はないでしょう。

 

織田信長の軍勢となると、数万人は下らないですから、とても力をもってして撃退することはできそうにありません。
そこで、平野をなかなか攻められないようにするため、集落の周りに、「環濠」をめぐらせることにしたのでした。

 

いわゆる、濠(ごう)と土塁(どるい)を築いて、集落を守ろうとしたのです。
まずは、集落の外側に大きな濠を掘りました。同時に、その濠を掘った土を外側に盛って土塁を築きました。
いくら戦の猛者であったとしても、堀を泳ぎ、土塁をよじ登らねば侵入できないとすれば、戦意を喪失するに違いありません。

 

社殿しかし、それだけでは、不安でした。そこで、更に、その外側にも濠を掘り、土塁を設けました。
つまり、環濠を二重構造にして、戦国大名からの戦火からまぬがれようとしたのでした。
その効果もあり、平野は、しばらく自治都市として栄えることができたといわれています。

 

しかし、豊臣秀吉の時代、豊臣家は、大坂城下町整備の一環として、平野の濠を埋め立てることを指示したのでした。
自治都市として栄えていた平野の勢力をそれだけ、怖れていたからだともいわれています。 同時に、商人たちは天王寺方面に商売の拠点を移動せざるを得なくなり、自治都市平野は、次第に崩壊していったのでした。

 

 

自治都市 平野区

現在、クリーニングスマイルのある大阪市平野区は、かつて環濠がめぐらされていたというのが信じがたいほど、平坦に開けた土地です。
ただ、赤留比売命神社のある平野公園をはじめ、同じく、クリーニングスマイルのある大阪市平野区にある杭全神社(くまたじんじゃ)の東北部などにおいては、 しっかりと、環濠の名残を見てとることができます。

 

堺と並ぶ自治都市として、全国に名を馳(は)せた、平野の歴史は、現在の大阪の発展にも大きくつながっています。 大阪の街並みを見渡しながら、平野がかつて自治都市であった頃の物語を想像してみるのも趣があるかもしれませんね。


次項もひき続き、「赤留比売命神社の近くに流れる 平野川(ひらのがわ)の歴史」についてご案内しております。次ページへ

 

 


 

小高い丘から見た社殿

<DATA>赤留比売命神社

 

大阪市平野区平野東
2−10

電話:06-6792-0128

 

(祭事)

4月29日 奉納祭(境内)
5月3日  古代市

(地元・長吉六反で
赤留姫命神社 ゆかりの人物に扮した仮装行列のパレードが行われている)


 

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2015/10/07
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