クリーニング・スマイルの「大阪平野かいわい物語」

米騒動と大念仏寺

 

大正7年(1918年)米騒動(こめそうどう)

皆様は、大正7年(1918年)に起きた米騒動(こめそうどう)という騒動をご存知でしょうか?

 

米騒動3当時、米の値段が上がり、困り果てた庶民は、米問屋に対して、米を安く売って欲しいと訴える騒ぎを、全国規模で 起こしました。

 

クリーニングスマイルのある大阪市平野区も例外ではなく、ここ大念仏寺には、米の価格の引き下げを願う庶民が多数集まりました。

 

農業の衰退

ときは第一次世界大戦が終わって間もないときです。
日本では、急速に工業が発展した時代でした。

 

東京や大阪をはじめとした大都市では、工場が立ち並び、鉄鋼業(てっこうぎょう)、機械工業(きかいこうぎょう)、 造船業(ぞうせんぎょう)などが伸びていきます。
景気(けいき)はどんどん良くなり、 それまでムギやヒエを主食にしていた人々も、米を主食にしはじめます。ますます米の需要(じゅよう)は高まっていった時代でした。

 

一方で、それまで日本の経済を支えてきた農業は衰退していきます。
農業よりも工業のほうが稼ぎがいいという社会状況になっていたため、次第に、農家に従事(じゅうじ)していた人々も、都会に出て、 工業に移っていったからです。

また、農家で生まれ育った若者たちも、農業を継ぐことをせずに、地方のふるさとから、東京や大阪などの都会に出ていくようになりました。
ゆえに、農業にたずさわる人口はどんどん減っていきます。

都市部に人が集まり、米を必要とする人々が多くなる一方で、農家にたずさわる人口は減っていき、米 の生産が追いつかなくなりました。
そこに凶作(きょうさく)も重なったものですから、ひとたまりもありません。市場(しじょう)のバランスは崩れ、またたく間に、 米の値段は上がりました。

 

例えば、大阪堂島(おおさかどうじま)の米市場では、1918年1月(大正7年)に1石あたり15円だった米の値段は、同年7月には、 30円にまでハネ上がりました。

 

米騒動の始まり

主食にしている米の値段が半年で2倍に上がったのは大変なことでした。庶民は米を買いに行っても、買えない。

 

運よく在庫があっても、値段が高いという状況になってしまいます。
現在ではコンビニエンスストアなどで、パンやスパゲティーなど、さまざまな食べ物が売られていますが、 当時は、米がなければ、庶民の食生活は致命的でした。庶民は困り果て、次第に、米屋や富を蓄えている人々に怒りの矛先(ほこさき)を向けるようになりました。

米騒動2米の値段がつりあがった1918年(大正7年)7月22日、 富山県の魚津港(うおつこう)にて、ついに騒ぎが起きます。
魚津港から、北海道に米を送るための船「伊吹丸(いぶきまる)」が寄港(きこう)したときに、 地元の主婦たちが、怒りの声を上げたのです。

 

魚津港から北海道に米を送ろうとしている資産家や米屋などに対して 、地元の人々にも米を安く売るように求めたのです。 最初は200人ほどが集まったにすぎなかったのですが、いつしか、 集まった民衆は1000人近くにもなりました。
その結果、それまで頑固に、「売らない」と回答していた米問屋も、次第にその迫力に後ずさりし、ついに、町民に、 米の値段を下げて売ることを約束します。

 

この騒ぎは富山県のちいさな漁業のまちで起こった出来事でしたが、その内容を新聞社が取り上げる や否や、全国の庶民にもそのニュースが伝わっていきます。

 

それまでは、米屋が示す高額な値段で米を買っていたり、 ときには、売ってすらもらえない状況でしたが、皆で集まって米の値段の引き下げを求めたら、米を安く買えると いうことが、具体的な事例として報道されたのですから、それは大きな話題となりました。

 

魚津港での出来事は、数日のうちに全国に広まりました。同時に、都会や地方で、庶民の米問屋への 怒りは爆発しました。魚津港で町民が行ったように、地元の人々が一致団結して、米問屋に出向き、米 の値段の引き下げや米の売却を求めたのです。

 

平野区の米騒動

米騒動クリーニングスマイルのある大阪市平野区も例外ではありませんでした。
大阪府では、大阪市天王寺区にて大きな騒動があり、数日間に及んで、米屋が襲われ、軍隊までが出動しました。
この騒ぎから一夜明けて、大阪市平野区でも、民衆が一致団結します。

 

そのとき、民衆が集まったのが、ここ大念仏寺の境内だったのです。
初めは、仲間内だけの集まりだったのが、次第に、数が増えてきて、その数約400名にも及び、境内は民衆で溢れかえったと伝えられています。

それを聞きつけた警察は、大念仏寺に到着します。
しかし、既に手をつけられない状況になっていました。
民衆は声を上げて、大念仏寺の境内から走り出て、怒りを爆発させました。

当時の府会議員の家には石が投げ込まれ、町長の家は、ガラス窓が割られました。 民衆の怒りは収まらず、その日のうちに、平野にある米屋約25軒は、ほぼ壊滅状態となりました。

 

翌日、平野では、臨時の町会が行われて、民衆に、安い値段で米が販売されることが決まりました。
米騒動は8月下旬には、1道3府37件にまで広がり、社会は大混乱におちいりました。 騒動に参加した民衆は全国で約100万人を数えたといわれています。

 

米騒動の影響で、当時の寺内内閣(てらうちないかく)は退陣に追い込まれ、そのあと、原敬(はらたかし)氏が平民出身としては、 はじめて総理大臣に就任することになります。

 
歴史ある町「平野区」

米騒動が起きたのは、今から90年近く前のことです。
クリーニングスマイルのある大阪市平野区でも、産業が転換していった時期にあたり、 大念仏寺に民衆が集まって米の値段を引き下げを訴える騒ぎとなりました。

 

まちの長い歴史をひも解いていくと、普段は静かにまとまったまちにも、時代に応じたさまざまな歴史的な出来事が 隠されているものです。奥が深く、興味が尽きません。

 

次項も引き続き、「大念仏寺と相撲」をご案内しております次ページへ

 


<DATA>
大念仏寺

(住所)
大阪府大阪市平野区平野上町1丁目7
電話 06−6791−0026
拝観料 無料
拝観時間6:00〜17:00
(※本堂は9:00〜16:30)
            

(祭事)
1月1日 修正会
1月16日 百万遍会(大数珠繰り・御札授与)
2月節分 毘沙門天護摩供・大般若転読法会・寒行
2月26日〜3月5日 元祖聖応大師御忌法要・納骨諸霊追善法要
3月2日 河内御回在ご出光

3月5日 再興大通上人御忌法要・納骨諸霊追善法要
3月21日 春季彼岸会
3月31日 写経奉納供養・筆供養
5月1日〜5日 万部法要
5月16日 百万遍会(大数珠繰り・御札授与)
5月29日 河内御回在ご帰院
7月7日 中祖法明上人御忌法要
8月15日 盂蘭盆会・法界大施餓鬼
8月16日 万灯会
9月9日 大和御回在ご出光(山中入りの年は3日)
9月16日 百万遍会(大数珠繰り・御札授与)
9月23日 秋季彼岸会
11月3日 胎内仏納骨法要
11月14日 十夜会(甘酒・厄除け粥施与)
12月17日 大和御回在ご帰院
12月31日 除夜法要(除夜の鐘つき・升酒施与)
毎月26日 定例布教(日曜のときは、27日)護摩供
毎月26日 護摩供


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2015/10/07
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